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第二集会室 [母校]

10/04/28(Wed)

今朝の地元紙を目にすると母校の名前が・・、「寮の新人指導集会で3時間正座させて7人が神経マヒや過呼吸を訴えた」とか・・。まったくせっかくロボコンで名を上げているかと思ったのに・・。全国紙とか、スポニチとかもにも載ってるのね・・(苦笑)。 

ん~~ん、けど私も30数年昔に同じ目に合いました。
新人指導集会(?)という名目で、まぁ先輩が新人にガツンと一つ気合を入れるための集会でしょうか・・、歴代「第二集会室」と名づけられて怖い集会でした・・。それこそ共同風呂の終わりの19時だったか20時だったかその時間に畳部屋の「第二集会室」に1年生が集められて正座で上級生に指導を受けました、「おまえら態度がでかいんじゃ!」とか「なめとんのか!」って・・(まぁヤクザまがいと言われればそうでしょうが)、上下関係の分からない一年生にとっては20歳までいる五年制の縦社会を叩き込まれた覚えがあります。でも3時間はなかったような・・、22時点呼で消灯でしたからそれまでには終わってたようですが・・。

寮と言う共同生活なのでそれなりの指導は必要かと思います。指導する側も3時間ず~~っと正座させたわけではなくて途中休憩も挟んだようですが、体調不良を訴える人にはそれなりの配慮も必要かと思います。
新学期、間もないこの頃だと起床後に寮の屋上で寮歌を歌ってのどを潰すまで部屋に帰してもらえなかったり、はは、つらい思い出が蘇ってきます。確かにまったく理不尽だったよなぁ・・。(クラブの先輩がいるとすぐに帰してもらってた人とかいるもんなぁ・・)。寮と言う閉鎖的な社会が社会から孤立することのないように、後輩諸君には肝に銘じて欲しいと思います。

本日の高知市の天気 晴れ 最高気温 21.4℃ 最低気温 9.8℃


タイムワープ [母校]

09/08/15(Sat)

この秋に母校が同一県内の他校と合併して、その名前が消えてしまうと聞きました。
卒業して25年近く・・、何だか4半世紀近く同じ名前の学校が存在したのも不思議であり、また一方でなくなってしまう寂しさもあり、何十年かぶりに母校を見に出かけてみました。

P1002855.JPG

国鉄の駅はJRとなり、気動車が煙を吐きながら走っていた線路上には電線が走り(オイ、土讃線はまだだぞ!)、町内はバイパスが整備されたり、高知から片側2車線の自動車道で何の苦もなく小1時間で行けたり、あぁ25年ってすごいなぁと思いながら母校の前に立つと、しかしそこには25年前となんら変わりのないワイヤーアンテナの大鉄塔の建った校舎やら、グランドやら、寄宿舎やら・・、ん~~ん何だろうあの頃と少しも変わらない風景に自分がタイムワープをしたような、あぁそれでもってここには嫁あり子供ありの45歳のおっさんが立ち尽くしていたりして、時空のねじれに身がねじれそうな・・。

あの寮から学び舎に夢と希望を抱いて暮らしていた頃、それでも卒業の頃には国鉄の青函連絡船やら電電公社の銚子無線局やら三光汽船やら少数ではありましたが通信士の求人があったりしました。わずか25年であるのに、やっぱり25年ってすごい歳月であることを感じざるを得ません、そりゃぁ統合されるはなぁ、今や通信士って職種がないもん・・。

そういう意味では自分に先見の眼はなかったでしょうか・・、5年間一生懸命学んだことの大部分は今や活用されない時代になってしまいました。まったくこんな辺鄙な学校でコツコツモールスやるより、都会の学校で華やかな大学生活とやらをエンジョイしてたほうがよっぽど良かったような・・、そんな思いさえもします。

それでも後悔って言葉は一つも思い浮かびません、そんなあの頃でもそれはそれで一生懸命だったし、そんな過去があるから今の自分があるのだし、何より自分が自分でそれを選んできたのだから・・。決して順調万般ではないけれど、今ある自分はそういうことの一つ一つの積み重ねでそうあることだと思うのです。そして我が身一つだけで今があるわけでなく、あの頃の恩師やら、同級やら、先輩やら、後輩やら、多くの人に支えられ、助けられて今の自分があることが、ここにくると身に染みてわかります。

悲しいかな・・、永遠ってことはないのだと思います。永遠にモールスを教育し続けなくても、南極であろうが太平洋のど真ん中であろうが誰もがどことでも安易に言葉を交わせることはすごい進歩です。ここで学ぶ後輩たちには特技に頼らない永遠を考えて欲しいと思います。古い伝統に固執することなく、新しい英知を期待しています。